夜廻魔女のSS(ショートストーリー)です
「あの日の研究室 登場人物 赤神冥加 ラヴィリス・ハーカー 2018/09/18」
カタカタカタカタカタカタ
キーボードの打鍵音が響く、窓から月光のみが差し込む薄暗い研究室の一角で、学生帽を被った和装の少女が、
ソファに寝ころびながら一筋の炎を掌で弄んでいた。
暖炉のように暖かく燈る炎が、少女とその周辺を照らしている。
少女は、その白磁のように白い人指し指を天井に向け、使用人を呼ぶ令嬢のように、指を二度曲げる。
すると、蛇の様に少女の掌の上でのたうちまわっていた炎は、少女の指に愛撫するように絡みながら、指に沿って昇っていった。
思わず、少女の口に零れる笑み。
しかし、すぐさま無粋な声にその喜びをかき消される。
「学校敷地内での魔法の使用は、校則で禁止されているだろう?」
ソファの背の反対から、くぐもった声色で指摘を受ける。
大儀そうに、しかし掌の上でのたうつ炎を保ちながら身を起こす少女。
視線の先には※ホログラムディスプレイの人工的な光に向きながら、一心不乱にキーボードを叩く金髪の少女の後ろ姿があった。
「WW3で使われた違法パーツと、人格相当の機能を備えた機械を作るのは法律で禁止されているんじゃない?」
ソファの背に片腕でもたれながら、帽子を被った少女が、形のよい唇を三日月のように開きながら皮肉そうに返す。
もう片方の掌は、相変わらず上に向けられて炎を操っている。
「……では、お互い見なかったことということで」
金髪の少女の向かう壁に反射した声が、またしてもくぐもって伝わってくる。
小気味よく叩かれ続けるキーボードの音に、全く乱れはみられない。
「不毛な議論を吹っ掛けおいて、急に打ち切るの止めてくれないかしら。ミス・ハーカー?」
掌の炎を激しくさせながら、ソファの背もたれに頬杖をつく少女。
蛇のように身をくねらせていた炎は、瀧を昇る龍のような激しさでぐるぐると回っている。
激しくなった炎の光は、金髪の少女の下まで届き、ディスプレイからの光と炎の光に前後から照らされ、
金髪の少女はサイケデリックな極彩色に染まる。
「前時代的な呼称ね、冥加さん。ぜひラヴィとお呼びになって」
淡々と答えるラヴィという少女、巫山戯た台詞とは裏腹にその声色は無機質な印象を受ける。
「ふんだ。※チューリング機関に怒られても知らないわよ。”矩”まで巻き込んで。またアキバに買いに行かせたんでしょう?」
炎を消し、両手で頬杖をつく冥加と呼ばれた少女。
薄暗い部屋の中で桃のように淡く発色した頬が、見苦しくない程度に両掌で持ち上げられる。
「それに、そっち向きながら話すのも止めて」
ぴた、っとキーボードの音が鳴り止むと同時に、ラヴィが床を蹴って机から椅子ごと遠ざかる。
そして、足を横に逸らすように床を蹴り、自身の座るオフィス用のチェアを回転させた。
2、3回転したところで足で椅子の回転を止め、冥加の方を向いたラヴィリスはいつの間にか腕組みをしている。
ディスプレイからの光を背に受け、身体の前面には窓からの月光を受ける。
青白い光に照らされて、見苦しくない程度にリボンタイを緩めたブラウスと緑色のプリーツスカートがしなやかな肢体と共に浮かび上がる。
「チューリング機関にばれる様なヘマはしない。これは内々で使うものだし、この子の言語は私のオリジナルだ。ブルートフォースでの解読も120年はかかるだろうね。その頃には、私は死んでいるか、私じゃなくなっているだろうさ」
生徒に講義をする教師のように、冥加に話すラヴィ。
その顔には、チェシャ猫のような笑みを浮かべている。
「次に私は”矩”を巻き込んでなどいない。彼女が自主的に私に持ち掛けてきたんだ。知り合いの店にいい出物があるとか言ってね」
人差し指をくるくると回しながら、冥加に話し続けるラヴィリス。
冥加は面白くなさそうに、ソファにもたれながら話を聞いている。
「最後に、君にこの不毛な議論を吹っ掛けた理由は………」
窓から差し込む月光で、古びたアンティークのように鈍くきらめく金髪をくゆらせながら
ラヴィは一瞬言葉を詰まらせる。
「………理由は?」
少しだけラヴィの方に身を乗り出した冥加が先を促す。
「……気まぐれ」
言い終わると同時にウィンクをするラヴィ。
脱力する冥加。
「何よそれ。思わせぶりな雰囲気出すんじゃないわよ」
「ずっと、機械と向き合っていると飽きてきてね。一休憩に会話でも、と」
「会話botとでも話してれば?」
「あれも機械だ。それに友人がいる場所で、会話botと話している人間がいたら不気味じゃないか?」
肩をすくめ、20世紀のテレビ司会者のように両手を上に向けるラヴィ。
「………矩はこの前、皆がいる部屋で組み立て中の機械に話しかけながら半田づけしてたけれど」
眉根を寄せ顎に手をおいて、共通の知人の話題を出す冥加。
「あれは特殊な事例だ」
苦笑しながら、機械いじりの好きな友人の姿を思い浮かべるラヴィ。
「しかし、手が疲れるね」
両手を前にして、風に揺れる柳の木のように振るラヴィ。
その姿に、古典的な幽霊象を連想する冥加。
「今時、タイピングでプログラムなんか打っているからでしょ。素直に※MBDでやればいいのに」
「……大体何で、手打ちなんかしているのよ」
小首をかしげながら、聞く冥加。
「専用の言語で作る必要があったからね。変換するツールを作ったら、奪われたときにこの子の中身を瞬く間に解析されてしまう。頭の中で変換して打ち込めば、ツールのデータは存在しない。不安な要素は作らないようにするべきだ」
「そんな七面倒臭いもの、何のために作ってるの?」
「趣味」
「趣味で兵器が作られるなんて、世も末ね」
「夜な夜な空を飛び、化け物を火あぶりにしている魔女が言うセリフではないな」
「あら、私は火あぶりになんてしないわ」
言うと同時に人差し指を上に向け、球体状の炎を展開する冥加。
「魂さえも残らないよう、火葬にしてあげているの」
炎に顔の片面を照らされながら、壮絶な笑みを浮かべる冥加。
地獄の業火で異業の者を焼く悪鬼にも、天上の炎で死人を昇天させる天女のようにも見える。
「……学校敷地内での魔法の使用は、校則で禁止されている」
「兵器を作るのは、法律で禁止されているわ」
手を閉じて炎を消すと同時に、笑いながら片目でウィンクする冥加。
そのまま、堂々廻りね、と言ってソファに寝転ぶ。
ラヴィの視界から、冥加の姿が消える。
すると、またしても炎を出したのか、冥加の消えた背もたれの向こうから、ゆらゆらと、赤い光がぼんやりと燈っているのが見え始めた。
光を見つめながら思案するラヴィ。
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この友人は果たして理解しているのだろうか。
炎を発生させ、その形状を自在に操ることがどれだけのことなのかを。
重力物理学、空気力学、熱学。
複数の分野にまたがる現象を複合的に計算し続けることが出来る魔女が、世界にどれだけ存在するのかを。
なおかつ彼女は、先ほどまで私と自然に会話していた。
複雑な魔法を発現させながら、他人とのコミュニケーションを通常と遜色なくこなす。
コンピュータならともかくとして、人間としては恐ろしいほどのマルチタスクだ。
相も変わらずぼんやりと光るソファから目をそらし、窓から見える月に目を向けるラヴィ。
研究者としての能力であれば、私は彼女にまさっているだろう。
しかし、魔法使い、魔女としての能力は、戦闘力はともかくとして、彼女に及ばない。
これが、魔法を”使うことを楽しむ彼女”と、あくまでも”研究対象としてしか見なしていない私”との違いからくるものなのか。
それとも、退魔の赤神家とモンスターハンターのハーカー家の違いからくるものなのか。
現在打ち込んでいるオリジナルの言語について、思いを巡らせる。
魔法を制御することを目的として、実装した言語だが、どうにもぎこちない。
魔法の本質的な部分を理解せず……魔法を完全に理解している人間などこの世に存在しないだろうが……
冥加のように感覚的に魔法を使用していないからだろう、その場しのぎの対処をしているからこうなる。
もしも、彼女がこの魔法制御用の言語構築に協力してくれたら、
もしも、彼女がもっと魔法の研究に対して真摯な態度をとってくれたら、
もしも、彼女が科学的に魔法を解明することに興味を持ってくれたら、
もしも、彼女が私と共に………
「……ラヴィ!」
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いつの間にか、目の前に立っていた冥加の声に我に返るラヴィ。
冥加は腰に手を当て、ラヴィの顔を覗き込むように頭を下げている。
目を白黒させながら、ラヴィは月明かりに反射する赤い眼を見る。
「何よ、プログラムも組まずにぼうっとしちゃって。私はそろそろ帰るけど、貴女はどうする?残る?」
「あ、ああ、帰る。私も帰るよ。レポートだけ書かせてくれ」
「早くしてね」
研究室の戸締りをするため、ラヴィから離れる冥加。
ラヴィは椅子を回転させ、スリープ状態に入っていたディスプレイに向く。
24桁のパスワードを打ち込んみスリープを解除したラヴィは、一瞬考えた後、”0324_magic_circle.txt”というファイルを作成した。
月の光が差し込む静かな研究室の一角で、キーボードのタイプ音がリズムよく鳴り響いていた。
/*end */
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※ホログラムディスプレイ……この時代で一般的な円型の映像機器。空気中に散布した粒子に光線を投影することで
様々な形式(スクリーン型、3D型、プラネタリウム型)の映像を出現させる。
ラヴィリスが使用しているのは、ライソー製12型。(数字は投影機の半径を示す)
※MBD(モデルベース開発)……仕様書段階から、用意されたモデル(数式、データベース、物理動作、環境etc)
を組み合わせてシステムを設計することで、効率的なシステム開発を可能にする
手法。最後の段階でモデルを自動的にプログラム言語化するため、
プログラミングをする必要はない。
※チューリング機関……世界中の人工知能を監視、監視する国際機関。ここでの人工知能とは、
人格と呼ばれる偏差的な出力をし、自己のアルゴリズムに対しての
書き換えが可能なものをさす。
通常は偶発的に生まれる人工知能の管理、監視をしているが、
意図的に人工知能を非許可で開発している組織、個人を発見した場合、
”ランナー”と呼ばれる捜査官を派遣する。
「アンビバレント・プリクウェル 登場人物 ヴィルデ・アラビアータ アシュリー・ブーギー ???? 2018/10/28」
全体的に赤を基調としているその豪華客船は、傍目から見ても、甚だ悪趣味と言わざるを得ないだろう。
今からそれに乗り込もうとしている当事者の私も、非常に悪趣味だと思う。
雨に濡れて、港の光に照らされているその様は、醜悪に赤く照りついていて、血にまみれているようにも見える。
私、ヴィルデ・アラビアータ、勿論偽名。現在高級ハイヤーで送迎されてます。
住所は高級ホテル、年齢秘密、職業はぐれ魔女、特技は魔法で悪事を働くことかしら?
こんなプロフィールで、私は今から仕事の依頼を受けようとしている。
勿論堅気の仕事じゃない。れっきとした犯罪業務だ。
面接会場は、今向かっている、あの真っ赤っ赤なラグジュアリークルーズ船、デメテル号。
現代の吸血領主こと、エンパイアクリムゾン社会長兼CEO、アニルシア・ドラクル氏が自らデザインに関わったという
海運企業コフィン・クルーズ社肝いりの豪華客船。
本来、クルーズ船に乗り込む際は、空港のように客船ターミナルという場所で手続きを踏まなければならないが
私は別にそのまま旅に出るということでもないので、あくまでもゲストとして、この寄港中の船に入船することとなる。
今時珍しい運転手付きのお迎えの車を寄越してもらって、ドレスコードに準じたシックなドレスに身を包み、
こうして豪華な船に入ることが出来るのは、まあ、悪い気はしない。
これで仕事じゃなくてければ、もっとよかったのだけれど。
そんな事を考えている合間に、車がデメテル号の傍に横づけされ、運転手が丁寧にお辞儀をしながらドアを開けてくれる。
勿論、蝙蝠傘で私を雨に触れさせないようにしながら、だ。
礼を言って降りると、黒地の傘を手渡し、どうぞ、とでも言ったように運転手はボーディングブリッジを手で指し示す。
「エスコートはしてくださらないの?」
「申し訳ございません。私はアラビアータ様が事を済ませるまでここで待機するように、と言われおりますので」
「あら、残念」
「申し訳ございませんが」
「気になさらないで。お仕事ですもの。言ってみただけです」
にこり、と営業スマイルを向けると、運転手は恐縮したように頭を下げた。
不良魔女をしている自分の周りには、中々存在しない人種だ。
普段は普通の仕事をしているのだろうか。
運転手から手渡された傘に守られながら、ボーティングブリッジの入口に立つ。
秋雨は気温を下げる。口から肺に流れ込む外気が冬を思わせる。
溜息をつくように息を吐くと、白い吐息が浮かんで消えた。
何時までも外に立たせておくのは可哀想なため、さっさとエレベーターに乗る。
ちらっと後ろを振り返ると、運転手は、車のそばで、こちらに向けて頭を下げていた。
「ジャポネーゼ(日本人)の礼儀正しさは筋金入りね」
エレベーターで昇りながら、ブリッジの内装に目を凝らす。
さすがは、豪華客船とでも言うべきだろうか。
普通であれば工業的で無機質になるであろう通行路まで、装飾的に凝っており、
昇っている間の意義の無い時間も、乗客を飽きさせないように苦心している。
惜しむらくは、デザインの方向性がデカダンとでも言うべきか、人によっては醜悪に映る傾向がある点だ。
豪華客船への入口、というよりは地獄の門といった表現の方が似合っている。
壁一面の苦悶に満ちた人々の彫刻や柱を支えるガーゴイル像といった装飾は、アニルシア氏の好みなのだろうか?
「シューちゃんは、こういうの好きよね」
周りに人がいないのをよいことに、まじまじと周りを見渡す。
淑女としては、少しはしたないかもしれないが、誰もいないのだ。別にいいだろう。
観測されなければ存在せず、だ。
体感的に建物二階分の高さを昇った所でエレベータが終わり、船の入口へとたどり着く。
船の赤い外壁に組み込まれた、機械式のドアの前に人影が佇んでいる。
こちらに気づいたのか、人影はブーツの鈍い地面を打つ音を響かせながら、こちらに近づいてきた。
明かりに照らされ、女性の姿が浮かび上がる。
ぴしっとしたパンツスーツ姿に反して、収まりの悪い青緑色の髪型の女性が目の前に現れた。
「ようこそ、デメテル号へ。失礼ですがお名前と来船の目的をお答えください」
丁寧な口調とは裏腹に、その髪型から印象を受ける通りの、のんびりとした牧歌的な声色だ。
「ヴィルデ・アラビアータ、ブーギー氏とのビジネスで来ました」
「アラビアータ様ですね。ブーギー様から伺っております。VIPルームにご案内致しますので、サインの指示にお従いください」
ここでの”サイン”とは、標識では無くミニマムマシンの技術を応用した閉鎖空間限定のマップインターフェースのことだ。
ミリメートルサイズの無数のマシンが矢印や記号の姿を取り、対象者の道案内を行ってくれる。
少し前までは、電脳化や専用のレンズを使うことで、電子的にアクセスできた機能だが、どんなに人間を改造しても
生まれてくる人間は生身であり、手術と言うひと手間が必要になるし、個人差による不具合もある。
それならば、肉体の外側にそのような機能を用意しようというのが、現在のユビキタス。いつでも、どこでも、だれでもだ。
…思考がそれた。
改めて目の前の女性に注意を向ける。
この女性、一見穏やかな対応だが、その裏に凄まじい闘気を秘めていることが魔力からの気配で分かる。
少しでも、怪しまれるそぶりを見せれば、喜々として取り押さえにかかってくるだろう。
餓えた狼のような。剥き出しの闘志。
魔女かフリークスか。少なくともただの受付係などではない。
パンツスーツの女性が耳に付けているインカムに何事かを呟くと、物凄い数の錠が動く音をたてながらドアが蠢き始めた。
「ひとつ聞きたいのですが、”誤って”サインが指示する場所以外に立ち行った場合、どうなるのでしょう?」
蒸気を噴き出しながら、物凄い音をたてて開いていくドアを見つめながら話す。
表面に設置された歯車が回転し、少しずつ、しかし確実にドアの封印が解除されていく。
女性は肉食獣のような笑みを浮かべながら、嬉しそうに言った。
「船内規定に則って、直ちに退船してもらうことになります」
「そう」
魔も人も入り混じる魔都シントウキョウ。そこに寄港しようというのだから、
これだけの力を持った人物……それともフリークス、を配置するのも頷ける。
少し、好戦的な気質が過ぎるきらいがはあるが。
余計なことはせず、さっさと退船した方がよさそうだ。
そうこうしている内にドアが開き始めた。
先程見た悪趣味な彫刻との雰囲気も相まって、地獄の釜が開いていくような印象を受ける。
船内からの暖気が、ふわりとした風となって、ドレスをひらめかせる。
ドアの前に立ち、完全に開くのを待ち構える。
もし、死後の世界というものがあるのならば、自分もこういう光景を目にしながら地獄へと誘われるのだろうか?
この門をくぐる者は、いっさいの希望を捨てよ。
地獄の悪魔も、罪人と同じように希望を持たずに過ごすのだろうか?
「死にたくないのならば、フリークスになればいいよ」
傍らから声をかけられ、ぎょっとしてパンツスーツの女性の方を見る。
「それとも、どっちつかずの状態を何時までも続ける?」
くしゃくしゃの髪の間から、狼の耳が出ている。
先程までの虚飾に満ちた対応は完全に払拭され、挑発的な笑みを浮かべている。
私はそれを無視して前を向き、そのまま一瞥もせず、完全に開いた機械仕掛けのドアをくぐった。
足元に無数の光の蟲が集合し、結晶化のように成長しながら一つの形を生成していく。
サイン、だ。
ミニマムマシンの技術で炎を模した案内灯の向こうに、豪華絢爛な装いのドアが目に入ってくる。
がちゃん、と後ろでドアが閉まる音が聞こえ、その後身を引き絞る悪魔のような音を立てながら、次々と施錠されていく音が聞こえた。
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「アシュリー、アシュリー・ブーギーだ。よろしく」
サインの指示に従って到着した場所は、VIPルームどころか周りに客がざわめくカジノフロアの一角
ショーウィンドウガラスに囲まれた一室だった。
「ヴィルデ、ヴィルデ・アラビアータです」
カード台の上で、穏やかに握手を交わす魔女とフリークス。
これからビジネスの話をしようというのだ、愛想をよくして損はないだろう。
アシュリーは、カジノフロアのディーラーとして、この船に籍を置いているらしく、
白いシャツに、トランプのマークが入ったベストという典型的(?)なディーラーの恰好をしていた。
室内にも関わらず、アシュリーはアクセサリーとしてダイスのついた、テンガロンハットを被っている。
手を離したとたん、何処からともなくトランプのデッキを取り出し、ディーラーらしい鮮やかな手並みでデッキを切り始める。
「こんな所で、とお思いかな?」
デッキを二つに分け、羽音のような音を立てながら、手で曲げた弾力を利用して、折り重なるようにして両手のカードを混ぜていくアシュリー。
マシンガンシャッフルと呼ばれる切り方だ。
こんな所で、とはカジノルームとガラスルーム両方の意味だろう。
「いえ、別に。ただ”サイン”がここを案内したときは、何かの間違いではないかと内心不安でしたが」
先ほどの狼女に船から放り出されでもしたら、ひとたまりもないし。
「意外とここは悪くないんだ。賭けている額を大金にすれば、誰も入ってこないし。二人っきりでも怪しまれない。防音設備もしっかりしている」
ガラスルームのドア近くのディスプレイには、現在60000$、yenに換算すれば約500万円程、をベットしているという表示がされている。
まあ、余程の酔狂な金持ちでもない限り、入っては来ないだろう。
「何より、人も魔女もフリークスもいるからね。ノイズで魔法での盗聴も難しい。ましてや、こういう強い思念が生まれるところでは」
アシュリーが外へと眼を向ける。
透明なガラスの外には、黄金の宮殿とも言うべき、豪奢な装飾に飾り付けられたフロアがどこまでも広がっていた。
カジノフロアは三階層が一つの空間を形成している。
一番上の階はポーカーやブラックジャックのような比較的古典的なゲームが存在するフロア。現在私たちが会談しているVIPルームもここに属する。
二階はスロットやパチンコなどの日本式ギャンブルや、カジノ向けに調整された賭け可能な対戦ゲームなど、最近のビデオゲームが設置されている。
そして最も目立つのは、一番下の一切仕切りの無い複合巨大カジノフロア。
ローマのコロッセオを模した観客席の、ホログラムモニターを中心に据えた賭け闘技場や、
香港の鉄火場を意識したバーチャルダービー、
ハイカラーで、20世紀半ばのアメリカンレトロフューチャーを意識したロボットが司会を務める、観客が扇形にそれを見守るビンゴ会場。
最も目を惹くのは、フロアの中心にある、日本のゲームメーカーが製作した、
逆向きにしたきらびやかなシャンデリアに無数のモニターとレールを備え付けたような形の、メガコインゲーム機だろう。
周囲に配置された、テーブル席から、自分のメダルを射出することで、積み上げられたメダルの山を崩し、
モニター上のスロットを回すことで、メダルを稼ぐ。
そのカジノフロアの高い天井に向かってそびえ立つ、造形の周りには四面に巨大なモニターが備え付けられ、
上階の客が現在のキャリーオーバー額や、プレイヤー毎の賭け額を一目に眺められるようにしてある。
何処となく貴族的な、下界の客を見下す冷笑めいた仕組みだ。
上から見ると、一攫千金を目指してその黄金の山に群がる下のカジノ客の様は、砂糖の塊に集まる蟻のようだ。
古今東西の賭け場が、綿密に計算されたグリッドに沿って、それぞれの雰囲気を壊さないように、しかし上階から一目で見た場合、
古代ローマの偉大な建築群のようにある種の共通した世界観を持って乱立している。
「賭け事ですもの。金銭が関われば、どんな聖人だって欲を深めますわ」
「金銭欲だけではないがね」
アシュリーが口に笑みを浮かべながらも、凄みのある視線を私の後ろに向ける。
後ろを振り返ると、恰幅のよい男性が、ガラスルームの外を慌てて立ち去っていくところだった。
先ほどから、何となく視線を感じていたのだが、この男がその源だろう。
「別に追い払わなくても構いませんよ?」
「一応、君はゲストという扱いだからね。こうでもしなくては、ホストとしての面目が保てないよ」
「私が魅力的という証拠ですから、悪い気はしませんし、一々反応していてはキリがないです」
実際船に入ってから、男性……時には女性の乗客からも、情念の混じった視線は度々感じている。
スリットから覗く、我ながら死人のように白いと思う脚に、特に視線が集中しているようだ。
胸の上から腕、背中にかけて赤黒いレースに覆われ、スカートに大胆なスリットをあしらったこのドレスは人目を惹くのだろう。
サイズもぴったりだし、センスも悪くないと思うのだが、果たしてこれを用意したのは誰なのだろうか。
「……仕事の話に入ろう。シューコから君のプロフィールは聞いているから、面接は省略する」
場の空気を変えるかのように、扇状にカードを一息に並べるアシュリー。
「その前に、何故この場所、カジノではなく、このクルーズ船に貴方は身を寄せているのですか?」
うすうす彼女が起こそうとしている事件の裏にエンパイアクリムゾン社の存在があることは分かっている。
しかし、計画の実行者から一応の事情は聞いておきたい。しらばっくれるようであれば、すぐにこの話はなかったことになるつもりだ。
「簡単な理由だよ。ここは私の能力を最大限に生かせる場所だし、とやかく身分を探られない。それに……連れがいてね。そいつがここを望んだんだ」
一瞬遠い眼をするアシュリー。
連れとやらに少し興味はあるが、それは私の欲しい答えではない。
……もう一歩踏み込むか。
「エンパイアクリムゾン社が関わっているからではなくて?」
単刀直入に突きつける。しかし、アシュリーは動揺した様子も見せず、扇形に並べたトランプを端から綺麗に裏返していく。
リボンスプレッドだ。裏返ったトランプの、実直そうな顔をしたスペードのジャックと目が合う。
「まあ、気付くだろうな。そうだな………表向きにはエンパイアクリムゾン社は、今回の事件に関わらないし、私たちに”気づきもしない”」
ここで彼女がいう”表”でさえ、一般市民から見ればすでに”裏”であるというところが、このシントウキョウの闇の深さだ。
裏返したトランプを、再度反対の端から裏返すアシュリー。
幾何学模様的な赤いトランプの裏面が、テーブルの上に広がる。
「裏では?」
この”裏”とは、シントウキョウでも特に後ろめたい事に手を染めている連中の間での、暗黙の了解という意味を持つ。
「……エンパイアクリムゾン、いや、アニルシア・ドラクルは、この計画に格別の興味を持っている。複数のルートを通じて
巧妙にロンダリングされた莫大な資金を提供している」
「目的は何ですか?」
シントウキョウの誘致企業の中でもトップクラスの企業だ。
わざわざテロ行為に援助してまで、何を求める必要がある?
ここでは金と技術があれば、法律など無視できるというのに。
「私もそれは知らない。だが、探りを入れてみたら、奴は何かを試したがっているらしい。それが魔法的なものか科学的なものかは知らないが……」
扇状に広げたトランプを両手でまとめ、シンプルなヒンドゥーシャッフルを始めるアシュリー。
……聞き出せるのはここまでか。
まあ、エンパイアクリムゾン社が関わっていることを他の連中も了解しているならいいだろう。
切り捨てたり、裏切るようなことがあれば裏の世界での信用を失う。
資金力だけある新興勢力、余計な真似をしてこれから動きにくくなることは防ぎたいだろう。
「……まあ、いいでしょう。詮索はここまで。詳しい仕事について聞かせて」
「これを見たまえ」
鮮やかな手並みで切っていたトランプの中から、手札を配るように一枚のカードをこちらに滑らせるアシュリー。
手に取ってみると、トランプではなく、何か魔術的な文様が刻まれたカードだ。ウィッチクラフトだろうか。
いつの間にトランプの中にまぎれこんでいたのだろうか。
手をかざして思念を読み取ると、今回の計画のモデル図が頭の中に浮かんでくる。
「これは…」
「技術は進歩するということさ。感応魔法を使ったデータ転送技術だ。電子データでも物理メディアでもない純粋な”情報”だよ。計画に関連する魔女にしか読み取れない」
「私の役割は、足止めということね。それも”ヤマト大学への”」
「その通りだ。君にはシントウキョウの湾岸商業区で”夜廻”が帰ろうとするのを防いでほしい。十分な資金は提供する」
「ヤマトの魔女が出てから数時間後に封鎖……。何だかアバウトじゃないかしら」
「仕方がない。低級なフリークスと資金はいくらでもあるが、指揮官が足りない。私を含めて、四人のフリークスとはぐれ魔女でシントウキョウの半分を混乱に陥れようというんだ。ある程度はアドリブをしてもらわなければ」
「シューちゃんに呼ばれた訳が分かったわ……」
脳裏に、あの紅紫色の髪の少女の悪戯っぽい笑みが思い浮かぶ。
要は自分の負担を減らすために私にも押し付けたのだろう。
「実績のある君には期待している。十分な謝礼は用意するよ」
「それはいいですけど、洗浄されたお金でお願いしますね」
「勿論だ。だが、しばらくは高い買い物は止めてくれ。闇マーケットでも駄目だ」
「あら残念です。ピンクスパイダーの新作が欲しかったのに」
ピンクスパイダーとは魔女の間で人気の、ファッションデザイナー兼ファッションブランドだ。
デザイナーはフリークスであるらしく、彼女が製作した服には魔力が宿るという。
その製作スピードからデザイナーは複数人いるとしか思えないが、感応性が高い魔女は、このブランドの服はたった一体のフリークスによって作られていると主張する。
真偽はともかくとして、そういった謎が余計にその人気に拍車をかけている傾向はある。
勿論完全受注性であり、ブランドのグッズ全てがウィッチクラフトであるため、製品は非常に高価だ。
ブローチ一つで、そこらのサラリーマンの年収が吹き飛ぶだろう。
「シントウキョウを大混乱だなんて、前々世紀のB級映画みたいな言い回しをしているが、やっていることはテロだ。……シティポリスのチェックも厳しくなるだろう。ぶち込まれてアーカムの”あの”看守に会うのは嫌だろう?用心に越したことはない」
手元のトランプを見つめながら、諫めるアシュリー。
「……そうだ。インフラの破壊と武力による特定地域の制圧。私たちは間違いなく一線を越えている。私とあの子はともかく、アニルシアがそれを望む理由は……」
独り言を呟くアシュリー。滑らかだったデッキの切り方に初めて逡巡が伺える
「お聞きしたいのですが、貴女の目的は何なのですか?ここに来る前に今回の騒動について出来る限り調べました。でも貴女の目的、というより貴女のメリットが見えてこない。悪戯にシントウキョウを混乱に陥れているようにしか見えない」
ここ最近のシントウキョウが異常であることは、誰の目にも明らかだ。電子機器の暴走(本来ソフトウェア上でユニークなはずのUUIDが重複したことで色々なトラブルが起こっているそうな)を皮切りに、物流の混乱、AIの発狂、犯罪の増加、そして何よりもフリークスやはぐれ魔女の狂奔。
魔女の中でも自制の効かない奴らは、この街の狂気に魅入られているように見える。
しかも、先程挙げたものはただ暴走しているわけではない。外から見ると、何か明確な目的に沿って、暴走しているように見えるのだ。
あくまでも魔女としての勘ではあるが、何か狂気の中に一定の法則があるような……
今回の事件。初めはシューコの魔法かと思ったが、低級なフリークスはともかく、仮にも人の形をとった魔女を操れるほど、シューコの魔力は強くないらしい。
「……目的?君も見ただろう?私の目的は混乱……そう。大混乱だよ。人も魔女も化け物も狂いに狂う。それが私の、私たちの目的だ」
手元のデッキから視線を外し、こちらを見るアシュリー。
テンガロンハットから覗く、人間離れした紫色の大きな瞳の中には、煌々とした狂気の残滓があった
……これは、何を言っても無駄だろう。
彼女の連れとやらは、かなり危険なフリークスのようだ。計画の青写真を描いたのはアシュリーかもしれないが、
絵具と意志を用意したのは、アシュリーの連れの方だろう。
シントウキョウ中の魔女達に影響を与えるとは。並大抵のフリークスではない。
今回の件、余り深くは関わらない方がよさそうだ。
「では、そういうことに。じゃあ、取引は成立ってことでいいのかしら?このまま計画に入っても?」
「ああ、取引は成立だ。君の役割……ヤマトの魔女を待ち伏せすることに関しては君に任せる。スカイブリッジの方を担当するフリークスと上手く連携して欲しい」
「当日まで面会は無し?」
「というより、これ以降私と君が顔を合わせることは無いだろう。計画に変更はないし、成功しても失敗しても会う必要性はない。この件において、私達が顔を合わせる機会はないのさ」
「随分、ドライですね」
「仕事だからね……と言いたいところだが……そうだな。成功率を上げるためにも、少しは親交を深めるべきかな」
言うと同時に、アシュリーはカードを配り始めた。
「ポーカーは知っているか?テキサスホールデムじゃない。ノーマルルールだ」
「まあ、役くらいは。駆け引きとかは無理ですが」
「十分。チップは無し、ただ役の大きさで勝負するだけ。君が勝ったら、私の能力を見せてあげよう。君は賢い子だ。勝負をして少し考えればすぐに分かるよ」
「……うーん」
イマイチ意図がくみ取れないが、計画前の運試しとでも思えば悪くないのかしら。
「負けた場合は?まさか借金を肩にしてタダ働きさせるつもりでは……」
「そんなヤクザな真似はしないよ。ただ帰ってもらうだけさ。……じゃあカードを配ろう」
極東のニンジャが手裏剣を投げるように、テーブルの面に沿わせながら、カードを配るアシュリー。
五枚届いた所でアシュリーに見えないように手札を確認する。
クローバーの8とAにスペードの8とA、ツーペアだ。悪くはない。
「コール……チップは無いですが」
「こちらも同じくだ」
カードを伏せたまま、全く手を付けずにコールを宣言するアシュリー。
何故手札を見ない?
「……どういうつもりです?」
「ふふ、まあ、見ていたまえよ」
釈然としないものを感じながらも、アシュリーの悪戯っ気のある笑みを見て
その不可解な行動を追求する気も起らず、自分の手札を相手に見せる。
「ツーペア」
「ロイヤルストレートフラッシュだ」
ハートの10からA。言わずと知れた最強の役。
ぐうの音も出ない程の負けだ。チップを賭けていなくてよかったと思う。
しかし、先程のあれは何だ?アシュリーは自分の手札が分かっていたのか?
だから、先程自分の手札も見ずに勝負を仕掛けてきたのでか。
手札をアシュリーに渡す
「……もう一勝負いいかしら」
「いいとも」
淀みない手つきでカードを切るアシュリー。今のところイカサマをしているようには見えない。
そもそも先程お互いの手札を配る際、自分とアシュリー、交互にデッキからカードを引いていた。
幾ら何でも、それでイカサマをするのは無理なのではないか?
デッキが切り終わり、先程と同じように、こちらに手札を配るアシュリー。
配られたカードをめくり、役を確認する。
「Aと8のツーペア…!」
しかもマークまで同じだ。
「オープンの準備はいいか?」
「確認は?」
「見なくても分かっている」
イカサマではない。これは間違いなく魔法だ。
自分の望む手札を引く?馬鹿な、そんなふざけた能力なわけがあるか。
まさか、自分の運命を決める?それならば、あり得る。
「私の能力について考えているな?」
「……自らの運命を決める能力でしょうか?」
「いやいや、そんな大それたものじゃあない。もっと考え給え。答えは目の前にあるし、君はもう既に知っているはずだ。気づかないか?」
「既に知っている?」
「失望させないでくれよ?君に私の能力の片鱗を見せたのは、そうすることが計画を進める上で有利にこそなれ、決して不利にはならないと思ったからだ」
デッキを片付け始めるアシュリー。何処へともなくデッキをしまうと、ドアの傍へと立った。
「ところで、君の手札のツーペア、あれの意味について知っているかい?」
「意味?手札に意味があるの」
「黒のAと8、かつてあるマフィアの幹部がそれを手にしたまま暗殺されたそうだ。それからあの手札はデッドマンズハンドと言うんだ」
「!」
「どっちの意味なのかな。”正体”か”結末”か」
思わぬ言葉に、息を呑む。こいつ、かなり深く私のことを調べていたようだ。
睨む私を無視するようにドアを開け、恭しく礼をするアシュリー。
防音の壁で妨げられていた、カジノの客たちのざわめきやダイスの転がる音、カードを切る音が、ガラス張りの部屋の中に流れ込んでくる
同時に、執着、強欲、絶望、歓喜と言った様々な欲望の思念も。気を強く持たないと呑まれるかもしれない
「お客様、またのお越しをお待ちしております」
自分の眼に映るアシュリーの姿が、奇妙に揺れた。
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「操作された手札、電子機器、AI、魔女、フリークスの暴走」
カジノフロアを出て、サインの案内通りに先程の道順を逆戻りし、出口へと向かう。
夜も更けてきたためか、宮殿のように絢爛な装いを見せていた廊下も既に消灯、窓から差し込む蒼い月光だけが光源となっていて、船内を蒼く幻想的に塗りつぶしている。
独り言をつぶやいても、誰一人聞くことも無く、先程の喧騒が嘘のように静かだ
「狂わせる能力を持った連れ、アシュリーの計画、ただ暴走しているわけではない……目的は不明」
先程までの会話と自分が調べた事件の概要とが、アシュリーの能力という軸を中心として、走馬灯のようにぐるぐると頭の中を周り続ける。
別に考えなくてもいいのだが、アシュリーの期待しているという言葉が、自分のそれなりに高い自尊心をくすぐり、考えざるをえないように仕向ける。
それとも、自分の生真面目さ故だろうか?仕事に影響があるのならば、考えずにはいられないという。
「シントウキョウ暴走、でもただの暴走じゃない。制御された暴走。目的はシントウキョウの大混乱」
何かが掴めそうなのだ。物凄く簡単な何かが。何故分からないんだ?
何かがおかしい。調子が狂うというか、思考と魔力のリズムが一拍ずつずれて、いつもとは違う自分に陥ってしまうような、奇妙な感覚が続いている。
そのせいで、普段なら容易に至る考えを通り過ぎて、何時までもたどり着けないような空虚な感覚が胸を締め付ける。
あるいは、自分も月に魅入られたのだろうか?先程まで会話していた、あの賭博師。
外界に君臨し、地上に煌々と狂気を降り注ぎ続ける、あの窓から覗く月と同じ目をした彼女のように。
「私は彼女が狂っていると思った。それは彼女ではなく、彼女の連れの能力……何かを狂わせる能力のせいだ。アシュリーの能力は?手札の選択?違う、もっと大きなモノのはずだ。狂わせることが彼女の連れの能力ならば、アシュリーの能力とは」
「お姉さん、何しているの?」
後ろから、鈴が裂ける様な、歪な声色を掛けられ、反射敵に勢いよく振り向く。
窓から差し込む月光の陰に寄り添うように、いつの間にか一人の少女のような影が立っていた。
少女の身体に対して、窓から斜めに差し込む月光が少女の脚だけを佳麗に切り抜きそのオレンジと黒のボーダーソックスと、襟が付いたような奇妙な造形の靴を露骨に見せつける。
上半身はおぼろげにしか見えないが、脚の華奢な肉付きにそぐわぬ、闇に溶けるようなぼんやりとしたシルエットから、ケープのようなものを羽織っていることが分かる。
しかし、何よりも特徴的なのは、その鬼火のように暗がりに浮かぶ緑眼だ。
アシュリーの眼と良く似た、狂った満月のような荒涼とした眼。
しかし、アシュリーと違うのは、彼女の眼が何者かの影響を受けて、その狂気の光を反射させるかのように光る眼だとすれば、この少女の眼は、自らの狂気そのものを光源として光る、歪な悪夢のような眼。
強力な力を持つフリークスの眼だ。
原理はどうあれ、強いフリークスの眼は自ら光る。
はぐれ魔女の自分では持ち得ぬ、魔法の理の事象の一つ。
問いかけに答えない自分に、感じた様子もなく、無機質に歩を進めてこちらに近づく少女。
ハロウィンを意識しているのだろうか。口を裂ける程に笑うカボチャのバックルがついたベルトと、無造作にショートパンツのベルト部分から下がるオレンジ色のサスペンダーが、新たに浮かび上がってくる
「お姉さん、何しているの?」
不快な声色だ。何十人もの全く異なった声を無理矢理ミックスしてして少女の声になるように調整したような、
聞くものを不安にさせる魔性の声。声の抑揚をわざと外すことで、込められた感情をノイズの中に隠しているのだろうか。
「ねえ、何しているの」
次の瞬間、目の前から彼女の姿が消え、首元に華奢な腕の感触が回されてくる。
ふわりと、甘い匂いが鼻腔をくすぐっるのと同時に、耳元にいきなりそのノイズめいた声が流れ込んできた。
身体がこばわり、眼だけをその声元に向けると、天使のような金髪の間から、見開かれた緑目と、弓なりに笑みを浮かべた口が、
その可憐な容姿に反して、深淵のように空っぽな感情を浮かべていた。
直感的にこの少女が、アシュリーの連れであることが分かる。
同時に非常に危険な存在であることも。
「私ね、アシュリーと一緒にこの船に来たんだ。アシュリーは知ってるよね?カードが凄く上手でとっても賭け事が上手なの。でね、カードのジャックがこの前、私に笑いかけてくれたの。あのキッチュなデザインのトランプが皆生きているって知っていた?知らなかった?
でも、もう知っているでしょう?何で知らない顔をするの?私嘘をつく人って嫌い。貴方は嘘つきなの?」
目まぐるしく流転する会話の奔流と、電撃のように伝播されていく連想に一瞬言葉を失う。
壊れたスピーカーのようにさえ感じる声色が、背筋をぞわりと震わせる。
何かを答えねば、という本能的な危機感が、自分の口から言葉を絞り出す。
「いえ、嘘つきじゃな…」
「嘘つきじゃないの?じゃあ、ランテルナと違うね。でも、そうだよねお姉さんは、ランテルナと違うんだから、ランテルナと違うんだよね。ランテルナは嘘つきなの。お姉さんと違うよね。嘘つきは天国に行けないってお話知ってる?でもそれは嘘なんだ。
嘘つきの大人が嘘つきの子供を怖がらせるために嘘をついたの。嘘じゃないよ。本当だよ!本当はね……本当は、嘘つきは天国にも地獄にも行けないんだよ!」
天使のように可愛らしい笑みで、冒涜的な言葉を口にする少女。ランテルナとはこの少女の名前だろうか。
会話に論理性はあるが、それはぎりぎりのバランスで積み上げられたジェンガのように危ういバランスで、一歩間違えれば、
全く意味の無い文字列の螺旋となるだろう。
「天国と地獄は、どこにあるか知っている?それはね、頭の中にあるの。私の脳が天国と地獄を作り出すの。皆そうなの!でも、私は天国も地獄にも行けないから、頭の中も行ったり来たりしているの。ねえ、貴方は何処から来たの?」
「……シントウキョウよ。貴方のお名前はランテルナというの?」
「シントウキョウ?凄い偶然ね!私もシントウキョウにいるの!アシュリーが私の目的を叶えてやるって言って、シントウキョウに連れてきてくれたの!アシュリーのこと知ってる?アシュリーは、賭け事が上手で、特にカードゲームが得意なの!この前一緒にポーカーをやったら、手札にあったハートのジャックが私を睨んだの!粗末な印刷なのに生意気だわ!じゃあ、貴方はシントウキョウからシントウキョウに来たのね!だってここはシントウキョウなのに、貴方はシントウキョウから来たんだもの。私の頭の中と同じ、何処にも行けないんだ!」
首に回された腕の圧力が、看過できない程に強まる。同時にランテルナの身体から漂う妖艶な香りが一段と強さを増した。
自分の思考がかき乱されていく。
この会話の展開は不味い。他の話に気を逸らさなければ
「あ、貴方の目的は何なの?あ、アシュリーは何のために貴方をここに連れてきたの」
自分の口から出たとは思えない声色にぞっとする。
金属めいた声色と、狂った抑揚の不協和音は、背後の少女からの影響を受けている証拠だろう。
この娘は危険だ。
質問を投げられて、その大きな眼を、天蓋を閉じる夜の暗闇のように瞬かせるランテルナ。
一瞬、陶然としたように思うと、急に首に回していた腕を解き、向き直るように自分との間の距離を離す。
ランテルナが離れたことで、ノイズが消え去り、急に辺りに静けさが戻ったような感覚を覚える。
ゼンマイ仕掛けの人形のように、首を傾げながら、こちらの顔を覗き込む。
振り払われた金髪が、流れ星のようにその軌跡を、暗い廊下の中で描く。
「私の目的?私の目的は……」
ランテルナが口を開くが、声が聞こえなくなり、何も見えなくなる。
かわりに頭の中にランテルナのものと思わしきイメージが思念として流れ込んでくる。
膨大なデータ量に神経が焼き付き、五感が滅茶苦茶な入力を受け、脳に向かって乱雑な出力を永遠に条件を満たさないソフトウェアの
ループ文のように繰り返し続ける。
部屋にぶちまけられた内臓、モーツァルトの即興音楽、柔らかなダイヤモンドの痛み、脳をかき乱す宇宙の香り、芳醇なソースで味付けされたたんぱく質の固形物の甘味、
これらが一体となって、悪夢的な幻想体験を脳に投影する。
これが、この少女が見ている世界なの。
唯一、第六感とでも言う、魔法に対しての感覚のみが、ランテルナからの思念を受け取りつづける。
頭の固い牧師、反抗を認めない教会、忌まわしいものを見る両親の眼、矛盾を指摘された聖書、審問会。
善良者の嘘、罪を犯した者の行く地獄、誰もいけないと証明された天国、ハロウィンのお菓子、カボチャの幻燈、トランプ。
治療のための病院、矯正のための監獄、開かないドア、鉄格子から見る満月。無視される叫び声。
狂気、正気、狂気、正気、地獄、正気、狂気、正気、狂気、天国、魔法。
正気、狂気、正気、魔法、正気、狂気、正気、地獄、天国、狂気、正気、魔法。
誰かの手。
**************************************************************
「お目覚めですか」
そう遠くない時間に聞いたはずの、誰かの声が聞こえる。
声につられて、瞼を開けると、ぼんやりとした街灯の明かりが、間隔的に目に飛び込んでくる。
ここは何処だろう。
身を包む上質なシートと不快でない程の革の鞣した匂いが、愛撫するように、霞がかった身体の感覚を鮮明にさせていく。
「ここは……」
「オフィス街を通行中です。ホテルまで後十分程です」
簡潔な応答に、少々の満足を覚えながら目を凝らすと、規則正しく配置された街灯の奥にシントウキョウの無秩序に建設された
摩天楼の姿を確認する。
企業責任を無視し、貪欲な資本主義に取りつかれた亡者共のバベルの塔。
空を飛ぶ時には気に入らないが、今ばかりは、帰ってきたという安心感を与えてくれる。
「私は……」
「アラビアータ様は体調を崩されたとのことで、アシュリー様から送迎の要請があり、失礼ながらドア警備のものに、こちらの車まで送らせました。なお、アラビアータ様が体調を崩された原因がこちらにあるとのことで、カジノ側から重々お詫びを申し上げるとのことです。
後日、お詫びの品を届けると伺っております」
「そう……見苦しい所をお見せてしまいましたわ」
「いえ。そのようなことは」
会話を続ける気力も無く、深くシートに身を沈める。露出した肩の部分がひんやりとしたシートに触れ、火照った身体に心地よい。
街灯の明かりに照らされて見える街の景色は、月の末に行われるハロウィンの催しへと準備されて、変貌しつつある。
飾りを彩る、刺激的なオレンジと紫と黒のコントラスト。
あれは、何だったのだろう。
アシュリーと別れてランテルナを名乗る少女に会った。
目的を聞き出そうとした所までは、おぼろげに覚えている。
強烈な存在感で、絶対に忘れられないはずなのだが、いかんせんあのノイズめいたイメージがこちらの感受能力を乱し、
砂嵐の向こうの光景のように、その存在を不確かなものにしてしまっていた。
そもそも、私は本当にあのランテルナに会ったのだろうか?
運転手の話を信じるならば、私はアシュリーの要請で送迎されたということになっている。
つまり、私はアシュリーと別れていないか、それか少なくとも最後までアシュリーが私の状態を認識する状態にはあったということだ。
勿論、ランテルナの影響で倒れた私を、アシュリーが後で届けさせたという可能性も十分にある。
しかし、ランテルナと呼ばれる少女と会ったか会っていないかは、証拠がない以上イーブンの確率であり、
実際にどちらの事象が現実であったかというのは、私の認識によるものでしかない。
外から観測された、彼女に会ったという証拠が存在しないのだ。
で、あれば運転手が言う以上、体調を崩した私をアシュリーが送ったというのが真実でランテルナという少女のことは、私が眠っている間に見た、悪趣味な妄想であるという事も十分にありえる
いや、白状しよう。私は怖いのだ。あの少女が本当に存在していて、自分がそれに関わってしまったということが。
あまつさえ、あの正気でないフリークス達が立てた計画のために契約までしてしまったことが。
もしかしたら、アシュリーが私をわざわざこのような形で送ったのは、このことを見越していたのではないか?
少女の存在を知った私が計画から離れることを防ぐために、あの少女を私の妄想の産物であるという、
一種の逃げ道を残すためにこのような回りくどい真似をしたのでは?
……思考は実証のないまま、自分の体験した狂気を説明しようと、意味も無く回り続ける。
回るうちに、印象は掠れ、確かな形として残ったものだけが記憶として残る。
そして、記憶は想起する内に変貌し、結局何も残りはしない。
シントウキョウに生きる全てのものたちに、
悪夢のハロウィン(Nightmare of All hallow's eve)が始まろうとしていた。
/*end */
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エンパイアクリムゾン社・・・・
2018/10/06 ~ 10/28